nは引きこもりをやめて4ヶ月目に入る。

nはしばらく前から、kとぼくの区別が断然ついてきて、基本的にkでなければ満足しない様子。前から、泣き止ませるにはkの母乳がダントツで一番強力だったが、いまでは泣きはじめた場合はすべてkに任せることにしている。こういうとき、ぼくは無力だ。

それでも、よく笑うようになり、ミルクの回数も減って、コミュニケーションがなんらかのかたちで取れているように思われる。まず、今日確認したが、名前は分かっているようだ。nさん、といえば、こちらを向くことを5回ほど繰り返した。

なぜか、ここへ来てぼくの抱っこでもそこまで嫌がらなくなった。赤ん坊に良い抱き方を覚えて、ストレスなく抱っこされるようにしたい。

nはまだ首が据わらないようだ。寝返りも、布団の段差があるところで偶然出来たくらい。kに似て温厚なマーペースなのかもしれない。それでも明らかに身長は伸びている。ぼくらの指をつかむ力も強くなった。

赤ん坊に指を舐められる感覚が、どれほどこそばゆい幸福感か、知らない人は多いだろう。照れて照れて、照れてしまうんだが、やめられない。一度だけで十分だけど。

彼女の成長は実感しているが、赤ん坊の育て方とはナンだろう。子どもチャレンジの宣伝にkは前向きだが、そういう学校のような決まったコースの画一的教育をする必要があるのだろうか。

もちろん、感覚器官や運動の神経の発達に必要なことはあるだろう。無知なのでわからないが、ほとんどの本やおもちゃは知育だとかなんとか教育だとか、つまりは子ども向けの実用書的なものばかりでうんざりである。

今日の高度な学歴社会に順応し「この社会でうまくやっていく」ためには他の多くの人同様に勉強をさせることはやぶさかでないけれど、頭の悪い親が自分の低レベルな理想のために自分の子どもに教育を押し付けるのは反対だ。たとえば、いまだ教師を頂点とする道徳的ヒエラルキーというせまい学校世界に閉じ込める環境や、無意味な校則は終わっていると思う。また語学など後からでいい。

すでにどの分野もそうだが、教育も経済で動いている。ああ、こういう話はうんざりなのでやめよう。