何もかも初めてという経験

nは生後2ヶ月で、飛行機に乗って海に行った。飛行機は母乳でやり過ごし、海は風を当てるだけで海水には触れさせられなかった。この頃の赤ん坊は強い刺激にたいしてもやり過ごすという方向が強いらしく、寝てばかりだった。

それでも、nはきっと、何か分からぬ不穏なものを感じ取っていたのだろうか。目が覚めても、強風の吹き寄せる海の方は見ないように、kの胸に頭を埋めたがっていた。

ぼくはといえば、久方ぶりの海を見て怖かった。都会の社会的制度にがんじがらめでいると、その流れと大きく異なる海岸の波の音が、僕の頭の中で機械的に変換されて、自然の獰猛さを推測させたのかもしれない。

kの田舎では海産物が豊富なので、生魚を沢山食べたお陰で、これまでで尤もひどい食あたりになった。昔からすぐにお腹を下すほうだけど、今回は一日十回以上トイレにいくほどのひどさで、自分の胃の弱さを思い出させられた。そうだった、ぼくはそれでナマモノを食べないようにしていたのだった。

 

それはそうと、nはよく笑うようになった。もっと笑かしてやりたくて色々試すが、何が面白いのかやっぱりわからない。風呂に入れるときに泣かしてしまうのがほんとうに申し訳ない。どうすれば泣かずに入れてやれるのだろう。しかしぼくはうまくあやすことも出来ないのだった。

 

そうそう、先日、三越のデパートで泣き叫ぶ赤ん坊をあやせないでいると、ある母親が専用の部屋に連れて行ってくれて、ミルクがないので困り果てていると、見かねた母親達が世話を焼いてくれ、はては自分の粉ミルクと哺乳瓶を譲ってもらうという奇特な経験をした。

さながら戦場で闘神、といってもここでは女神に小指で弾雨を除け、助けられるかのような、自身の弱さを悟り、慈悲にすがる惨めでしかし大変ありがたい出来事だった。あまり心地よいものではないけれど、母親達がいかに子育てに長けているかをよく心得た。母乳一つ出ない男はほんとうに役立たずなのだ。もちろん母乳が出ない女神の嘆きを知らぬわけではないが、そういう女神はそれ以外の方法を準備している。ミルクも持たずに出歩く法がおかしいのだった。

そのときの女神達の振る舞いはとても気配りが出来ていて、わたしは母乳だけだからよくわからないのだけれども、と前置きを入れてアドバイスしたり、赤ん坊には触らないように、しかしミルクはきっちり温度を確かめてぼくが飲ませるだけで良いようにしてくれたりで、ぼくはもうnの鳴き声をボディーブローに、ただただ苦笑いでありがとうを連呼するだけだった。

こんな経験をkがすれば、その場にいなかったぼくを逆恨みして罵倒するであろうが、ぼくは温厚なので、その場にいなかったkを責めたりせず、こういう出来事があったからミルクくらいは持ち歩こうと促すのだった。ぼくはなんていい人なんだろう。それにしても、三越の女神達はすごかった。さてうちの相方はどうなることやら。

 

おたがいの実家を行き来することで、これまで知らなかった相手の背景を窺い知ることが出来る。相方に言われて初めて、自分の一面を知ることになる。