保育園トップ合格

なのかどうかはさておき、第一志望の保育園に受かったと連絡が来る。nあるいはkはもってるね(二人とも常にうんをつけてるし)。ぼくは近ければどこでも良いのだが、kは早くも教育ママ化して、どこの学校が良い、どの習い事をさせたいなど、自分で調べてはポンポンぼくに飛ばして来る。ぼくはのらりくらりとかわしつつ、お金がかかるからと言って落ち着くまで待つ、というのを繰り返している。

nはまだハイハイをしようとしないものの、玩具が手元にないと駄々をこねるようになってきた。言葉こそ話せないものの、反応もかなり良い。毎日一緒のkは知らないが、少なくともぼくには、喜怒哀楽がはっきり分かるようになったし、かまってちゃん度が増して少々煩わしい。

おひな様も、kの満足のいくものをわざわざいくつものお店に行って選んで買ってきたようだ。後日家に届いた人形の一部が気に入らないとして、交換するところも、気合いが入っている(オタクがフィギュアを大事に扱うように)。ぼくはそんなものは要らないと言ったのだが、だって、20万円とかするのに、年に一度しか使わないなんて、しかしkが譲らないものだから仕方ない。

最近は、ぼくのkへの小言がストレスだからやめてくれという。しかし、部屋の惨状を見れば、誰でも言いたくなる状態なのだが、ぼくにどうしろというのだろうか。極限まで行くと、nの口を塞ぎたくなってしまうなんて言うものだから、ふだん、生活保護児童虐待のマンガやフィクションを読んでいるのはストレス発散なのではないかと推察している。

自分で自分をママゴリラと言っている最近のkは、結婚前とは大違い。喧嘩のときはヤンキーのようなことを言ったりする。こわいこわい。しかしここに、女性のおかれた社会状況に対する悲鳴を聞くのは、お門違いなのだろうか。だって、これまでずっと、夫婦喧嘩なんて普通のことだったから。kとぼくの話のなかに、どこで区別をつけられるだろう。女性の訴えが極端な形で現れる時、ヒステリーや精神病があった。最近はTwitterで凄まじい数の訴えを見る。近年の政治的常識の大きな変化を見るに、それに追いつけないぼくたちの常識と言葉と考え方はそれについていけてないので、ミクロな次元での衝突や軋轢は今後もしばらく続くだろう。