中の人は成長が遅い

標準より遅い。それだけが心配だが、相方のマイペースな性格を受け継いでいるんじゃないかと思われる。指差しも11ヶ月で初めて、ハイハイはほとんどせずに、つかまり立ちも始めた。体の成長が遅いのは、もしかしたら添い寝添い乳を毎日していたせいじゃあなかろうか、眠りが浅くホルモンが分泌されていないとか。

ぐうたらでだらしなく、時間を守れず、忘れ物ばかり、片付けができず、すぐに物を失くし、物を壊し、食べ物は腐らせる。新しもの好きで、ハマると人並み以上に熱中するものの、飽きやすく、冷めやすい。自分の欲望に忠実で、嫌いなものは頑としてやらない。食べることが大好きで、飲食店を選ぶときもお店でメニューを選ぶときも時間をかけて決めるものの、どの店が美味しいとか不味いとかいったB級グルメな言動は皆無。当然運動音痴で、小学校の頃は体育で跳び箱が飛べない、逆上がりは結局できずじまいだったとか。大人しく、小心な反面、世間とズレているところに気がつかずに、服に食べ物をこぼしたまま外出したり、口に食べかすをつけたままだったり、ヒゲが生えていたり、一見すると恥ずかしい振る舞いをしていることがあることは、本人も気がついているが直せない、直す気がなさそうだ。しかし、そういうところが目立つということを本人は理解していないと思われる。大の大人が子供のように振る舞うことは、世間的にははしたないとされる。

天然だと言えるもののその点が可愛がられるとは言えず、悪い人につけ込まれそうな危うさがあり、端的にぬけているところがあるためナメられることは多いだろう、仕事でも脇が甘いと言える。純粋というには人間の汚い部分に関心が高すぎるし、単純というには面倒な性格で、しかし人間としてとてもわかりやすい人だ。

こうして書くと悪いことばかりなので、いいところを書いておこう。好きなことに貪欲なところは彼女の持って生まれた才能かもしれない。偏見だが、女性はある程度のところで節度を持って抑えるところ、彼女は一線を超えてしまうことがある。子供が生まれてかなり落ち着いたものの、友人と遊びに行けば、子供のご飯も忘れて遊んでしまうくらいだ。個人的にはこの点をうまく延ばしてもらいたいが、いかんせん気分屋で飽きっぽいので、僕がどうこうできる感じではない。己でうまくこの性質を活用していただきたい。

彼女は、自分がそういう性格だからか、他人のゆるいことにも無頓着だ。ゴミは出しっ放し、服は脱ぎっぱなしなので、僕の荷物が少しくらい放り出しておいても文句は言われない。文句を言われる場合は、僕が彼女の散らかし具合に文句をつけたときだ。そんな風に、言われたら言い返す、やられたらやり返すというのが、彼女の基本的なスタンスで、こちらが注意したつもりでも、彼女からしたら口喧嘩という認識のようで、僕の過去現在はたまた場合によっては未来の罪を挙げ列ねて、小学生の喧嘩さながら、tくんだって〜じゃんという具合に反論してくる始末である。

ここまで書いてきて、予想している方もいるかもしれないが、彼女はオタクであり、婦女子でもある。サブカル的なコミュニケーションが好きで、しかし話し下手なので専ら聴く方になる。友人が少なく、ある意味では僕が友人兼彼氏兼夫兼ペットのような雑用のようなご主人様のような気がするときも稀にある。様々な立場を兼任するのは疲れるし、別に聞きたくもない話をきくこともあるため、友人を作るよういうのだが、なかなかそんな気もないようだ。いっとき作ろうとしていたときもあったが、結局は大変なことは自分からやりたくないようだ。

 

保育園は学校

文科省の管轄が幼稚園、厚生省の管轄が保育園。しかし実際のところ、その区別は曖昧だ。どちらも似たようなことをやっている。保育園の方が長く預かってもらえるものの、幼稚園の先生のほうが、待遇がいいらしい。

nは入園の際に、初めこそぎゃん泣きしたらしいが、すぐに慣れた様子。朝、母親の顔が見えなくなると大泣きしても、数分後にのぞいてみると泣き止んでいたらしい。

kは、クラス?の中で、nが美人だと言って、さっそく親バカぶりを発揮している。入園式のような集まりで見た他の子どもは、確かにゴリラのような顔も、未だガッツ石松の顔も見かけたが、nの後ろ髪は未だ禿げたままだし、成長曲線に乗れずに体重は停滞中なので、個人的にはそちらの方が気になる。

nは、すでに表情は幼児のもので、笑顔は絶やさない、おおよそ機嫌のいい子どもだ。kが見えなくなると悲しそうな声を上げるものの、kは意に介さない様子。慣れっこなのだろうが、構ってあげて欲しいと思ってしまう、父親のエゴだろう。

せめて早く言葉を解さないかなあと思うけれども、それはまだまだ先だ。自分一人で看ているときは、特に外出先では余裕がない。ぐずり始めると、食べ物をあげて機嫌を取れるが、それも始めの何度かだけだ。他人よりは信頼してもらえるが、母親には到底及ばない。周囲に対して泣声や奇声を気にしすぎてしまうためか、精神的にかなり疲れる。

最近、仕事の直後に、kに用事があるためnを連れて家に帰ることがあって、抱っこ紐で抱っこしているといつもと違って、癒されるのだった。仕事モードから家庭モードに短時間で移行することで、癒し効果が倍増するみたいだった。

gwは家族旅行で強烈に疲労する。kによれば僕は気にしすぎなようだけど、こればっかりは慣れないのだから仕方ない。

仕事の時間以外はおおよそnに時間を使う、共働き子育ての大変さを実感する毎日。専業主婦だって子育ては大変だというなら、核家族で子育てなどそもそもオカシイ。

今の50代以上で、専業主婦に家事育児を任せてきた男親には、この大変さは理解されないし、できないだろう。彼らは古い慣習の日本企業で、サービス残業も飲み会もその日の成り行きでやり通す代わりに、高い給料と家事育児の免除特権及び男女不平等の恩恵を享受してきたのだから。

今の子育て男性陣は、そもそも臨時で保育園のお迎えや家事を放り出せないし、食事の準備や洗濯など家事を普段から女性と分け合い、以前までは当然のように許されてきた一方的な家父長的振る舞いは許されないのだ。子どもの体調から近所付き合いまで日常の細々したものを全て分担するのだ。

ただnが元気に育ってくれることを願って頑張るのみ。

 

保育園トップ合格

なのかどうかはさておき、第一志望の保育園に受かったと連絡が来る。nあるいはkはもってるね(二人とも常にうんをつけてるし)。ぼくは近ければどこでも良いのだが、kは早くも教育ママ化して、どこの学校が良い、どの習い事をさせたいなど、自分で調べてはポンポンぼくに飛ばして来る。ぼくはのらりくらりとかわしつつ、お金がかかるからと言って落ち着くまで待つ、というのを繰り返している。

nはまだハイハイをしようとしないものの、玩具が手元にないと駄々をこねるようになってきた。言葉こそ話せないものの、反応もかなり良い。毎日一緒のkは知らないが、少なくともぼくには、喜怒哀楽がはっきり分かるようになったし、かまってちゃん度が増して少々煩わしい。

おひな様も、kの満足のいくものをわざわざいくつものお店に行って選んで買ってきたようだ。後日家に届いた人形の一部が気に入らないとして、交換するところも、気合いが入っている(オタクがフィギュアを大事に扱うように)。ぼくはそんなものは要らないと言ったのだが、だって、20万円とかするのに、年に一度しか使わないなんて、しかしkが譲らないものだから仕方ない。

最近は、ぼくのkへの小言がストレスだからやめてくれという。しかし、部屋の惨状を見れば、誰でも言いたくなる状態なのだが、ぼくにどうしろというのだろうか。極限まで行くと、nの口を塞ぎたくなってしまうなんて言うものだから、ふだん、生活保護児童虐待のマンガやフィクションを読んでいるのはストレス発散なのではないかと推察している。

自分で自分をママゴリラと言っている最近のkは、結婚前とは大違い。喧嘩のときはヤンキーのようなことを言ったりする。こわいこわい。しかしここに、女性のおかれた社会状況に対する悲鳴を聞くのは、お門違いなのだろうか。だって、これまでずっと、夫婦喧嘩なんて普通のことだったから。kとぼくの話のなかに、どこで区別をつけられるだろう。女性の訴えが極端な形で現れる時、ヒステリーや精神病があった。最近はTwitterで凄まじい数の訴えを見る。近年の政治的常識の大きな変化を見るに、それに追いつけないぼくたちの常識と言葉と考え方はそれについていけてないので、ミクロな次元での衝突や軋轢は今後もしばらく続くだろう。

 

ハイハイをしようとしない

nは、いまだに寝返りで満足している。腹這いになってしばらくすると、疲れて泣き声を上げる。仰向けにしてやると、自分でまた腹這いになって泣き声を上げるのだ。

nの表情はおおよそ幼児のものになってきた。赤ん坊ではあれ、顔つきがしっかりして来るし、機嫌の良し悪しが端からでも分かりやすくなって来る。

マットは購入済みだが、部屋が散らかりすぎて敷くスペースがない。早く片付けてくれとkに言っているけれど、いつになるのだろう。マットがあればハイハイの意欲もわくだろうか。

 

中の人が外に出てきて半年、ぼくの立場は悪くなる一方だ。まあそれはいい。ただ、理不尽なkの物言いをココに書き残してやろうと思う。

ぼくは平日働いている。稼ぎは少ないものの、フルタイムかつサービス残業で定時に帰ることなどほぼない。仕事内容はkも同じようなものだが、ぼくのほうが断然忙しく、業務量も多い。給料は同じくらいか。kはいま、育児休暇で春から3月までずっと休みだ。それにもかかわらず、ぼくに育児と家事を押し付けようとして来る。

毎日スマホばかり見て寝転がっているkは、ぼくの帰宅が遅くなると怒るし、遅い理由が飲み会(取引先との仕事)だとさらにひどくなる。毎日LINEで帰宅が何時か聞いて来る。そりゃあ、毎日赤ん坊の世話をするのは大変だし、ストレスにもなるだろう。しかし、ぼくは働いているのだ。君は家でゆっくりしているのだ。ぼくが出来ることには限界があるし、いまは君の方が時間も体力もあるのだから、君がやるべきだろう。

あなたは家事も育児もやっていないというが、お風呂に入れてるし、寝かしつけも、オムツ替えも、ほか必要なことは(当然毎回は無理だが)やっているのだ。分担はするけれど、基本は君がやるのが当然じゃないか。

そういうような口喧嘩をする日が増えた。これはたぶん、何らかの方法を考えないと、今後もかたちを変えて続くだろう。そんなのはいやなので、なんとかするつもり。

一年は@いう間に

kが違和感を感じる。→kがぼくに相談する。ぼくが動揺するも、検査するようにいう。→kが病院に行き、結果が分かったのが12月、重大な事件が判明するも、年末年始はとりあえず仕事を終わらすために過ぎ去る。→kと話して決断、まずは喫煙が許されなくなる。→喫煙だけでなく、いろいろとkのぼくへの当たりが強くなり始める。→諸諸の手続きや引っ越しなどで喧嘩が増える。→バタバタしている間にkは産休へ。→出産へ→育休へ→ぼくも育休へ(ただし週の半分は出勤)→ここまでで残業は週10時間ほど減る、kとの喧嘩は無数にこなす。→とりあえず子育てにも少しずつ慣れて、落ち着いて来る←いまここ。

なんとも慌ただしく色々な物事をやり通した、といえる一年だった。社会生活というものは家族がいて始めて意味を理解できる。自分の体と時間は有限で、そのなかにがっちり組み込まれる。それは制度的にも、実生活においても、だ。どれも頭では知っていても初体験で目の前に見せつけられるとその重さを実感させられる。

nはただただ成長を続けているようだ。ぼくは家庭と会社のなかで政治的に振る舞うようになった。当然、kはn至上主義なのでぼくは男性でなく夫という役割を求められる。大人になるとは世間的にこういうことを言うのだろう。こんなことは誰にでも出来るので、世の大人どもが「子どもにはわからない」というように、えらそうに子どもに語る資格などない、ということを確信する。もちろん、子どもに分からないことがあるのは否定しないが、それをもって正当化することは許されない。できるだけ説明する努力をすべきだろう。

こうして、一年の短さを感じさせる怒濤の社会生活と人生経験を経て、より真撃に考えざるを得ないのは、残された時間のことだ。これから思考と体力は衰える一方だろう。そのなかでできることは限られて来る。

「人生など奴隷にくれてやれ」的なことを言ったのは、ヴィリエ・ド・リラダンだ。ぼくはおおよそ子育ての「こ」の字までやってみた。あとは中年の懊悩と老年の衰弱だ。しかしそれらをやらずにも、そろそろ語ることを許されても良いだろう。何について?人生について?いいえ、私自身について。そして、世界について。

寝かしつけが出来るようになったゾ

ワンワン鳴かせて30分、がんばって寝るのを待っていればたどり着ける境地、それが寝かしつけマスター。生後半年未満の父親で出来る人は少ないだろう。ぼくもこんなことはしたかあないが、仕方ない。kがやってくれんのだから。kはコレまでずっと母乳で寝かしつけてきたが、母乳で寝ないときもある、そういうときは泣きつかれて寝るのを待つしかない。

nは寝返りを打った。統計的標準より少し遅れているものの、心配ない範囲だろう。

 

中の人はどこへ行ったのか

彼女はひとりすくすく成長しているのだろう、寝返りを打とうと必死だが、自分では出来ずに泣き始めるので、助けてやることが多い。いまだ寝付くまでは母乳でやっているけれど、一人で寝付けるのはいつになるのだろうか。

わざわざ写真館に行って、kがnの写真を撮ってきた。祖父母向けの、曾祖母向けの写真だ。子ども向けサービスの世界はどうもなじめず、保育園に行くようになってからの園行事がいまからいやになる。nは将来、これを読んでどう思うのか分からないが、自分に子どもがいれば、こういうこと自体苦手な大人がいることは理解してもらえるだろう。それとも、保育園に行くようになれば慣れてしまうものなのだろうか。

最近はnとのコミュニケーションが不足している気がする。kもどれだけ話しかけられているのか、できるだけ気を配ってやりたいと思う。