忘れないうちに言っておくけれど、この時期は、喧嘩を結構したのだ

来週にもでてくる中の人は、いま、まだゆっくり寝てるの違いない。もうすぐ突然の寝覚め、無理矢理起こされるわけだが、そんなことになれば誰だって泣くほどの衝撃じゃあないだろうか。

 

おそらく中の人の存在が知れた半年ほど前、年末だったが、それからkとは何度も喧嘩をしたと思う。お互いに後々まで尾を引く性格でないので助かっているものの、そうでない性格の人はこの時期は大変だろう。

 

喧嘩の内容は、どうということはない生活の細々としたものだけれども、それでも一緒に生活をして、一緒に物事を共有することは大変なものだ。一つの挙措に複数の価値観が絡む。それらは一つ一つはたいして大きくないものの、溜まり積もれば片方の鬱憤が溜まる。

 

だから、それはときに臨機応変に済ませることも必要だし、長期的にルールや習慣として定着させるには、少しずつお互いに話をして理解と妥協を繰り返してやっていくほかないものだ。

 

まったく生活感のないわたくしとしては、ある面ではとても生活を大事にするkの言うことにまったく共感できないのだが、こういうところでこちらがやらねばならないことが増えるともっとも負担を感じてしまうのは致し方のないことだ。それは彼女も同じこと。

 

もっとも悲しいことは、お互いの話がそういった家事=仕事のような相談=交渉のような話が増えてしまうことだ。気心は知れていても、この場合は政治が入ってくるわけだ。

 

誰だってそうだろうが、共同生活を始めるまではそういったことを話し解決する必要がなく、そんな話をする機会もないので、つまり赤の他人と生活の基準を決めることは、初めての経験なのだ。うまくやれないカップルも多いだろう。

 

この点においては、ぼくらはまあまあほどほどのところで、なんとかやっている気がする。他の点は、いまは中の人が中心で、背景に沈んでいると言える。それはこれから二十年はそうだろう。

 

あと一週間で中の人は中の人でなくなる。そういやまだ名前も決めてないな笑