一年は@いう間に

kが違和感を感じる。→kがぼくに相談する。ぼくが動揺するも、検査するようにいう。→kが病院に行き、結果が分かったのが12月、重大な事件が判明するも、年末年始はとりあえず仕事を終わらすために過ぎ去る。→kと話して決断、まずは喫煙が許されなくなる。→喫煙だけでなく、いろいろとkのぼくへの当たりが強くなり始める。→諸諸の手続きや引っ越しなどで喧嘩が増える。→バタバタしている間にkは産休へ。→出産へ→育休へ→ぼくも育休へ(ただし週の半分は出勤)→ここまでで残業は週10時間ほど減る、kとの喧嘩は無数にこなす。→とりあえず子育てにも少しずつ慣れて、落ち着いて来る←いまここ。

なんとも慌ただしく色々な物事をやり通した、といえる一年だった。社会生活というものは家族がいて始めて意味を理解できる。自分の体と時間は有限で、そのなかにがっちり組み込まれる。それは制度的にも、実生活においても、だ。どれも頭では知っていても初体験で目の前に見せつけられるとその重さを実感させられる。

nはただただ成長を続けているようだ。ぼくは家庭と会社のなかで政治的に振る舞うようになった。当然、kはn至上主義なのでぼくは男性でなく夫という役割を求められる。大人になるとは世間的にこういうことを言うのだろう。こんなことは誰にでも出来るので、世の大人どもが「子どもにはわからない」というように、えらそうに子どもに語る資格などない、ということを確信する。もちろん、子どもに分からないことがあるのは否定しないが、それをもって正当化することは許されない。できるだけ説明する努力をすべきだろう。

こうして、一年の短さを感じさせる怒濤の社会生活と人生経験を経て、より真撃に考えざるを得ないのは、残された時間のことだ。これから思考と体力は衰える一方だろう。そのなかでできることは限られて来る。

「人生など奴隷にくれてやれ」的なことを言ったのは、ヴィリエ・ド・リラダンだ。ぼくはおおよそ子育ての「こ」の字までやってみた。あとは中年の懊悩と老年の衰弱だ。しかしそれらをやらずにも、そろそろ語ることを許されても良いだろう。何について?人生について?いいえ、私自身について。そして、世界について。