胎児の世界

こんな機会でもないと読まないのがこういう本だ。

「胎児の世界」三木成夫

2004年の本だが、もっと前に書かれたともののように感じる。じっさい、10年前に構想されたらしいが、1925年生まれという、著者の年齢に拠るものだろう。

そうしたこともあって、内容はどこまで信じるべきか微妙で、一つ一つのデータと科学性は不明なのだが、本書の場合は重要なのはそこではなく、著者の考える方向とニュアンス、その思想的な方面だろう。

本書の文体を見て、本書で言うのとは異なる単純な懐かしさを感じるのは、その文体がやはり昭和のそれだからだ。久しくこういうものは読まない。確実に流れる時間の違いがある事を感じさせる。

現在の文章は、簡潔で論理的、あるいは感覚的で内容のないものばかりだが、その両方が含まれる昭和のそれは、これからますます珍しいものになるだろう。おかげで、できればこういう時間を生きたかったと強く思わせる。

もちろん、それは一長一短で、つまりはその文体に馴染めないと読みづらい、あるいは正確に文意を取れずに読者を混乱させることもあるが、文章独特の味わいをもたせ、奥行きを感じさせることができるのも、こうした文章の特徴だ。

 

話は変わるが、相方のkは、最近はもう動くのも億劫なようだ。ご飯は熱心に作っており、それはとてもありがたい。共働き夫婦が増えている昨今、家事をどうやって分担していくか、これは今後の夫婦の課題だと教わったが、その通りだ。男の方が、あるいは年収が多い方が家事をしなくていいなどという話はまだあるようだが、今後はそれも減っていくだろう。

家に帰って家事をして、子守りをして、寝て働くという生活は、自分の時間をどれだけつくるか、そんなことを真剣に考えさせるようになる。大人の時間はとても貴重なものになる。おいそれと誰かに時間をやる気になどならない。簡単に物を押し付けるような輩は嫌われるのだ。

そういう意味で、仕事への比重はきっと減る事になる。子供中心の生活になるそうだから、順序としては子供▶︎家族、仕事▶︎家事、その他雑事、自分の事となるのかもしれない。もっとも、働きだしてから、漫画の台詞にありそうな「細切れの時間の中で」という感覚をリアルに感じ、働いてばかりの日本人に心底嫌気がさしていたが(残業100時間/月を2度くらい経験したかな)、そんな場合ですらなくなるということだ。

上司は、僕に子供が出来ると知ると、「仕事だけしてれば良いというのはまだ楽な方だ」といったことを呟いて、それは僕にはずいぶん衝撃だった。しかしそれは現実になるのだろう。

 

閑話休題。子供の名前をまだ決めていないのだが、女の子の名前を検索すると、みな自分の子供が可愛くて仕方がないようで、どうにも嫌悪感がわいてくる。キラキラネームは直感的に、自分可愛さで子供に特別感を出したくて仕方がないのだろうし、おおよそ人気とされる女の子の名前はどれもファッションのようで、女の趣味が前面に出ているようだ。それで、女の子の名前一覧みたいなものを延々と眺めていたら、なんだかほんとうに嫌な気分になってくるので、自分にミソジニーがある事を感覚的に理解できた気がしたが、どうだろう(ミソジニーなど多くの男が持っているのだから)。

 

暗い事ばかり書いてしまったが、

今日は相方がケーキを作ると言っている。新しく買ったホットクックとオーブンレンジとソファーと可動式の棚と食洗機と本棚と。。。。新生活を楽しむ事に余念がない。彼女の良いところだ。まずはケーキを楽しみにしている。